崩壊国家で名高いジンバブエの政府から2011年の1年間に国外追放された外国人は100人余りであった、というニュースがありまして、その内訳は予想どおりというか、ほとんど中国人とナイジェリア人だったそうです。
* * *
中国のアフリカ進出がすごい、という話をよく聞きます。たしかにすごい勢いです。ヨーロッパ人が100年かかってアフリカに進出した人数を中国人は10年で超えたとか、ほんとかどうか分からない噂もあったりで。
ジンバブエに在留している日本人は青年海外協力隊の人もいれて70人くらいだそうです。他方、こないだ聞いた話では、ジンバブエにある中国大使館が把握している在留中国人は4000人くらいだとか。中国の人口が日本の人口の約10倍なので日本人の10倍いてもおかしくはないけど、実に50倍以上。で、これでもすごい数だとは思うんですけど、現地の人に聞くと「そんなもんじゃないだろう。」という話です。中国大使館が把握していない中国人の流入がかなりあるはずだとおっしゃる。1万人は下らないだろうとしたり顔で言う人もいる。
私もこのところ縁あってジンバブエに滞在しているんですけど、たしかになんだか素性わかんない中国人がいっぱいいらっしゃる。現地語も英語もほとんどできない人とか。
アフリカではどこでもよくあるんですが、中国政府がアフリカ支援としてスタジアム、国会議事堂、道路、空港、博物館、そういうものを造ってあげていて、その見返りに鉱山の採掘権を得たりしている。で、その際、建築資材から土木作業員から一切合切中国から持ってくるんですけど、そんなことやって人と物の往来が増えて関係が深まり現地事情にも慣れてくると、アフリカの国が発注する公共事業を中国企業が受注するようになる。なんつったって安いし。あるいは中国企業とアフリカ現地企業(公営企業が多い)の合弁事業なんかが立ち上がったりする。
で、たぶん、ここからは推測ですが、そうやって政府や政府系企業の事業の一環としてアフリカに渡ってきた中国人が現地に居残ったり、あるいはアフリカに行った人の「つて」で一旗揚げようと商売にやってくる個人事業の中国人がけっこういるんじゃないかと思うのです。貿易ブローカー、中華料理屋、商店経営などがよく見られますけど、アフリカらしく農業やその関連の商売、さらには鉱業もあるように見えまして。
鉱業っていっても、オーストラリアとかで見られるような大規模に投資してやるやつじゃなくて、ごく小規模なものがアフリカではよくあるんです。砂金堀りに毛が生えたくらいのやつ。何を掘っているのか知りませんが、田舎の方に行った時に思いがけないところに校庭くらいの広さの「鉱山」があって、中国語の看板が立ててあるのを見かけたことあるし、採掘許可を出す役所の窓口は中国人が列をなしてる、という話も聞いたことありますし。
* * *
グローバル化の時代、特殊な技能がなく、高度に知的な仕事をするわけでもない一般労働者の賃金水準はいずれ国際的に収斂すると言われてますけど、たとえ日本の労働者が国内で食い詰めるようになっても、この中国人のアフリカ進出の様相がやがて日本人にも見られるようになるとはちょっと想像しにくいです。
いや、かつて日本人も南米に移住したし、アメリカに憧れて裸一貫で勝負、なんてこともあることにはある。でも、再び日本人が、商機を求めて個人で、あるいは家族や友人同士で「最後のフロンティア」アフリカに大挙して出て行くことはもうないんじゃないでしょうかね。日本はもうそこまで若くはないでしょう。
中国が急速に豊かになっているとはいえ、平均すればまだ一人あたりGDPは日本の10分の1、本国にいてはどんなにがんばっても芽が出ない人々もまだまだ多いんだろうと思うのです。それが、アフリカでうまくいけば、車買って広い家に住んで、使用人さえ雇うこともできる。そういう成功を目指してアフリカに来ている人が多いんでしょう。
そういう、アフリカにある中国大使館でさえ把握していない人の流れがあるのだと思います。アフリカ54か国に在住登録している日本人は合わせて7000人台です。そしてこれも明確な根拠のある数字ではないですけど、アフリカの中国人は100万人を超えているのでないかという話もあります。
中国のアフリカ進出の勢いがすごい、って中国政府・企業の進出や地下資源の獲得の勢いがすごいっていうのもあるけど、「人」の進出もかなり無視できない水準なんじゃないですかね。
* * *
ちなみに、ジンバブエ政府から追い出された中国人は、ほとんどが無許可営業の飲食店、商店の経営者だったそうです。
Tokyo Life
my impressions of the daily life in Tokyo (and the world).
February 25, 2012
February 11, 2012
動物に遭わないサファリ。
アフリカでサファリのガイドをやっている人が、日本人客を案内して面白い体験をしたというんです。
彼はそのとき、ウォーキング・サファリのガイドをやっていて、そのウォーキング・サファリというのはその名の通り、野っ原を自分の足で歩いて周って動物を見るというものなんですけど、そこのサファリではライオンとか大型動物が出て来たときの安全のため1グループは6人まで、という規則があるらしい。それ以上になるとガイドがお客さんの面倒を見切れなくなるという人数だそうです。
そこに、10人程のグループの日本人ツアー客がやってきた。それで彼が、2グループに分かれて、時間をずらしてウォーキング・サファリに行くようにアレンジしたところ、日本人客たちが何か相談している。で、日本人らがガイドの彼に告げたことが、彼にはすごく意外だったんですと。
「2グループに分かれて行って、片方のグループだけライオンが見れて、もう片方のグループがライオンが見れなかったらイヤなので、そのウォーキング・サファリに参加するのは止めます。」
いいとか悪いとかいう話ではなくて、同じ日本人としてこの感覚は分かるんだよねぇ。「結果の平等が保証されないという理由だけで折角の機会も無にする悪平等」とか、「相互監視と嫉妬の文化」とか、教訓めいた話をする気はさらさらないですけど、こういう結論を出してしまう日本人ならではの空気感は身に覚えがあります。
ガイドの彼とは、「いやあ、それが日本人のfairnessの感覚なんだよね。」と笑って話したんですけどね。
結局、その日のウォーキング・サファリはライオンとかゾウとか大型動物に遭遇する心配のないところにみんなで行く、というアレンジになったそうです。「そこも景色は壮大ですばらしいところではあるんだけどね」と彼は話しておりました。
しかし、動物に遭わないサファリって、ねぇ。
January 29, 2012
独裁で何が悪い?
大学で政治学を専攻したわけでもないし、政治史の本をよく読んでるというわけもないんですけど、日本人にしては中東やアフリカに住んだり出張したりが多くて「独裁」には縁がある方なので、それなりに考えることはあります。学術的には穴だらけの理屈なのでしょうが、体感的にはこんなふうに考えられたよ、という話をメモっておきます。
* * *
独裁で何が悪いんでしょう?
アフリカや中東には正真正銘の独裁、独裁的な大統領、王制など、民主主義とは呼べない独裁的な統治をやっている国がたくさんあります。それで何が悪いのか。
悪くないと思うんです。ただし、統治が公正である限りは。そして国家権力が暴力的でない限りは。
プラトンだって、高い見識を持った哲人が私心を脇において国家を第一に考えて統治するような、為政者のノブレス・オブリージュに期待するような哲人政治をよしとしたんじゃなかったけ?ローマだって中国だって、善政を敷く賢帝の出た時代は幸せでした、と世界史の教科書に書いてあった気がする。
独裁者が有能で公正である限りは独裁って悪くない。そう思うのです。特にアフリカや中東みたいに、貧しかったり、国家よりも一族の繁栄の方が重要だったり、拮抗する派閥間の対立が厳しかったり、あるいはその全てがあったりすると、民主主義の実践は皮肉にも暴力や腐敗を生み、却って国を不安定化・弱体化させているように見える。
ただね、独裁を肯定するには、「統治が公正で暴力的でない限り」、「独裁者が有能で公正である限り」という留保が付く。そしてこれがどうしようもなく難しいんでしょうね。
為政者本人が優れていて清廉であっても、その権力を傘に着る大臣や官僚のすべてが公正で清廉などということはあり得ない。国家は為政者が一人で治めるには大き過ぎ、必ず統治の機構が要るんだけど、その機構はきっと利権に溺れ、縁故主義に走る。時に反対する者を暴力で潰す。
為政者が有能である、ってこの統治機構にまでその徳の威光を浸透させることができる、ということなのかもしれないけど、それはちょともう、哲人っていうか神の領域のような気がする。「絶対権力は絶対腐敗する。」という格言を持ち出すまでもなく、「よい独裁」って難しい。
そして、そこからが問題。失敗した独裁者、独裁政権には、それを穏便に交代させる仕組みがないのです。武力弾圧される危険を冒してデモをやるか、出待ちして襲うか、いずれにしろ合法的に手続きに則って退陣させる方法がない。
有能で公正な独裁政権は悪くない。が、そういう独裁政権は滅多にできない。できてもやがて腐る。そして腐ってしまっても交換できない。
いろいろ問題があるし、完全無敵なシステムではないですけど、この一点で民主主義が優れているのだと思うのです。すなわち、民主主義は失敗した為政者を交代させる仕組みが内蔵されている。
* * *
中東やアフリカを見ていると、欧米式の自由で公正な普通選挙を基本とする民主主義システムを強制するのは却って国を不安定化させ、暴力を誘発し、貧困を悪化させる側面があるようにも見える。といって、とんでもなくヤクザな独裁政権をのさばらせておくのも許しがたい。
どこまで為政者の無茶を許すのか。アジアでよく見られた開発独裁というのがそのひとつの妥協点なのか。あるいは、アフリカでしばしば見られる、族長や各勢力のドンが話し合いと妥協で方向を決め、たとえそれが非合理的な内容であってもその権威にみんなが従う「長老政治」的なものを認めることが解になり得るのか。またあるいは、中東諸国ではイスラム教を倫理の規範とすることで為政者の暴走に歯止めがかかると信じていいのか。
現に今生きている人々の日々の暮らしの安定と向上を目指すのなら、妥協点は厳格な民主主義と厳格な独裁主義の間にあるんじゃないのかなあと考えたりするのです。欧米的な民主主義は、それなりの豊かさを達成した後の導入でもいいんじゃないか、とね。
* * *
独裁で何が悪いんでしょう?
アフリカや中東には正真正銘の独裁、独裁的な大統領、王制など、民主主義とは呼べない独裁的な統治をやっている国がたくさんあります。それで何が悪いのか。
悪くないと思うんです。ただし、統治が公正である限りは。そして国家権力が暴力的でない限りは。
プラトンだって、高い見識を持った哲人が私心を脇において国家を第一に考えて統治するような、為政者のノブレス・オブリージュに期待するような哲人政治をよしとしたんじゃなかったけ?ローマだって中国だって、善政を敷く賢帝の出た時代は幸せでした、と世界史の教科書に書いてあった気がする。
独裁者が有能で公正である限りは独裁って悪くない。そう思うのです。特にアフリカや中東みたいに、貧しかったり、国家よりも一族の繁栄の方が重要だったり、拮抗する派閥間の対立が厳しかったり、あるいはその全てがあったりすると、民主主義の実践は皮肉にも暴力や腐敗を生み、却って国を不安定化・弱体化させているように見える。
ただね、独裁を肯定するには、「統治が公正で暴力的でない限り」、「独裁者が有能で公正である限り」という留保が付く。そしてこれがどうしようもなく難しいんでしょうね。
為政者本人が優れていて清廉であっても、その権力を傘に着る大臣や官僚のすべてが公正で清廉などということはあり得ない。国家は為政者が一人で治めるには大き過ぎ、必ず統治の機構が要るんだけど、その機構はきっと利権に溺れ、縁故主義に走る。時に反対する者を暴力で潰す。
為政者が有能である、ってこの統治機構にまでその徳の威光を浸透させることができる、ということなのかもしれないけど、それはちょともう、哲人っていうか神の領域のような気がする。「絶対権力は絶対腐敗する。」という格言を持ち出すまでもなく、「よい独裁」って難しい。
そして、そこからが問題。失敗した独裁者、独裁政権には、それを穏便に交代させる仕組みがないのです。武力弾圧される危険を冒してデモをやるか、出待ちして襲うか、いずれにしろ合法的に手続きに則って退陣させる方法がない。
有能で公正な独裁政権は悪くない。が、そういう独裁政権は滅多にできない。できてもやがて腐る。そして腐ってしまっても交換できない。
いろいろ問題があるし、完全無敵なシステムではないですけど、この一点で民主主義が優れているのだと思うのです。すなわち、民主主義は失敗した為政者を交代させる仕組みが内蔵されている。
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中東やアフリカを見ていると、欧米式の自由で公正な普通選挙を基本とする民主主義システムを強制するのは却って国を不安定化させ、暴力を誘発し、貧困を悪化させる側面があるようにも見える。といって、とんでもなくヤクザな独裁政権をのさばらせておくのも許しがたい。
どこまで為政者の無茶を許すのか。アジアでよく見られた開発独裁というのがそのひとつの妥協点なのか。あるいは、アフリカでしばしば見られる、族長や各勢力のドンが話し合いと妥協で方向を決め、たとえそれが非合理的な内容であってもその権威にみんなが従う「長老政治」的なものを認めることが解になり得るのか。またあるいは、中東諸国ではイスラム教を倫理の規範とすることで為政者の暴走に歯止めがかかると信じていいのか。
現に今生きている人々の日々の暮らしの安定と向上を目指すのなら、妥協点は厳格な民主主義と厳格な独裁主義の間にあるんじゃないのかなあと考えたりするのです。欧米的な民主主義は、それなりの豊かさを達成した後の導入でもいいんじゃないか、とね。
January 14, 2012
南部アフリカの物価高。
日本から見ると東南アジアの物価は一般に安くて、年金生活に入ったらクアラルンプールで悠々暮らしましょう、なんていう人もいたりするので、途上国の物価は日本より安いもんだという印象がありますが、そうでもないところがあります、という話。南部アフリカなんですけどね。
世界の生活費の高い都市ランキングでニューヨークや東京、モスクワやムンバイも差し置いて、アンゴラの首都ルアンダが一位になったというニュースとか、聞いたことありません?
高いんですよ、南部アフリカの物価は。
貧困問題が深刻で開発が遅れている南部アフリカ、物流やインフラが不十分で、物資の調達も難しければ、電気や水も安定供給されない。そんなところで健康で文化的な生活を営もうとすると、えらいお金がかかるのです。富裕〜中間層の人々や外国人が住宅を探そうとすると、単身赴任や夫婦2人用程度のところでも、ルアンダでは家賃が月4000ドルを超える水準だと聞きます。それが豪邸かというと、実は断水や雨漏りの絶えない家だったりする。なんてことないビジネスホテルが1泊400ドル、しかも料金前払いでデポジットしなくちゃいけない、とかいう話も聞きます。
日用品もみんな割高。先進国品質の物を持って来るのが大変で、途中でマージンもいっぱいかけるんでしょう、コーンフレークが一箱1000円、みたいな感じらしいです。で、必要ならばそこで買うしかない。他に行けば安い、なんてことはない。
要は貧しく厳しい環境なので、そこで先進国水準のものを調達しようとするとコストが掛かる、かつ、その供給が少ないので競争が働かない、ということで値段が高止まりしてしまう。
だったら、そこに参入して一儲けできそうな気もするんですが、参入しようにもビジネス環境が悪いし、リスクを取って参入するには市場が小さく旨味も少ない。なので、高い物価が放置される、という構造のようです。
中でもアンゴラは石油を産出するので経済が好調、ビジネス客の流入に対しマトモな住宅や物資の供給が十分追いつかないという事態になってとんでもない物価高になったらしい。
他方、南部アフリカで最も発展していて、もはや途上国とは呼べない水準に来ている南アフリカ共和国の物価が周辺国より安いというのも納得です。大手を含むたくさんの事業者がいて競争する大きな消費市場があるし、物流も通信もまともなので国際市場ともリアルタイムにつながっている。南アフリカの物価は日本よりやや安いと感じますよ。
じゃあ、南部アフリカの貧しい多くの人々はどうやって生活しているのか?
切り離されているのです。違うレイヤーで生活している。日常的に現金で買うものは、主食(トウモロコシの粉とか)、食用油、砂糖、あとはせいぜい携帯電話の通話料か、というところで、その他の消費が少ないのです。半分自給自足のような生活で、都市部とは大きく異なる生活です。同じ国の中、同じ国土の上で生活していながら、全然違う生活をしています。「格差」というよりは「断絶」という感じですよ。で、前に書いた「現実はひとつじゃない。」という状況にも陥るわけです。
アフリカ全体でGDPが年率6%成長、10億の人々が暮らすアフリカの時代は近いと言われますけど、この断絶、忘れられた人々をどう包含していくか、なかなか簡単な話じゃないと思いますよ、ほんと。
世界の生活費の高い都市ランキングでニューヨークや東京、モスクワやムンバイも差し置いて、アンゴラの首都ルアンダが一位になったというニュースとか、聞いたことありません?
高いんですよ、南部アフリカの物価は。
貧困問題が深刻で開発が遅れている南部アフリカ、物流やインフラが不十分で、物資の調達も難しければ、電気や水も安定供給されない。そんなところで健康で文化的な生活を営もうとすると、えらいお金がかかるのです。富裕〜中間層の人々や外国人が住宅を探そうとすると、単身赴任や夫婦2人用程度のところでも、ルアンダでは家賃が月4000ドルを超える水準だと聞きます。それが豪邸かというと、実は断水や雨漏りの絶えない家だったりする。なんてことないビジネスホテルが1泊400ドル、しかも料金前払いでデポジットしなくちゃいけない、とかいう話も聞きます。
日用品もみんな割高。先進国品質の物を持って来るのが大変で、途中でマージンもいっぱいかけるんでしょう、コーンフレークが一箱1000円、みたいな感じらしいです。で、必要ならばそこで買うしかない。他に行けば安い、なんてことはない。
要は貧しく厳しい環境なので、そこで先進国水準のものを調達しようとするとコストが掛かる、かつ、その供給が少ないので競争が働かない、ということで値段が高止まりしてしまう。
だったら、そこに参入して一儲けできそうな気もするんですが、参入しようにもビジネス環境が悪いし、リスクを取って参入するには市場が小さく旨味も少ない。なので、高い物価が放置される、という構造のようです。
中でもアンゴラは石油を産出するので経済が好調、ビジネス客の流入に対しマトモな住宅や物資の供給が十分追いつかないという事態になってとんでもない物価高になったらしい。
他方、南部アフリカで最も発展していて、もはや途上国とは呼べない水準に来ている南アフリカ共和国の物価が周辺国より安いというのも納得です。大手を含むたくさんの事業者がいて競争する大きな消費市場があるし、物流も通信もまともなので国際市場ともリアルタイムにつながっている。南アフリカの物価は日本よりやや安いと感じますよ。
じゃあ、南部アフリカの貧しい多くの人々はどうやって生活しているのか?
切り離されているのです。違うレイヤーで生活している。日常的に現金で買うものは、主食(トウモロコシの粉とか)、食用油、砂糖、あとはせいぜい携帯電話の通話料か、というところで、その他の消費が少ないのです。半分自給自足のような生活で、都市部とは大きく異なる生活です。同じ国の中、同じ国土の上で生活していながら、全然違う生活をしています。「格差」というよりは「断絶」という感じですよ。で、前に書いた「現実はひとつじゃない。」という状況にも陥るわけです。
アフリカ全体でGDPが年率6%成長、10億の人々が暮らすアフリカの時代は近いと言われますけど、この断絶、忘れられた人々をどう包含していくか、なかなか簡単な話じゃないと思いますよ、ほんと。
January 10, 2012
年末年始、一時帰国してました。
新しい1年が始まりました。
年末年始は約8ヶ月ぶりに日本に戻ったりで、盛りだくさんの時間を過ごしておりました。(で、寒い日本滞在の最終盤でカゼを引いてしまったのですが。)
前回の帰国は2011年3月下旬〜4月下旬の震災直後で騒然とした時期でしたが、今回はそれから半年以上の時間を置いてからの帰国で、この間の日本国内の空気の変化を肌で感じることができました。正月だったということもあるのでしょうが、新年を占うというか、世界はどうなる、日本をどうする、といった前向きの話も多くて、課題山積、見通し不良の中にも新しい社会への手がかりを模索する気概、新時代への胎動に気付く日本滞在になりましたよ。節電のための消灯が減って、見るからに「街が暗い」ということもなくなっていましたしね。
たしかにそう悪くはないと思うんです。ダメだダメだと嘆き、厳しい批判をすることが識者然としてカッコイイと思ってそうな鬱陶しい人も多いし、地震・津波の被災地域はまだまだ厳しい状況なので「大丈夫」などと軽々には言えないのは承知してますが、実際に東京や実家のある福岡に滞在してみると、拍子抜けするほどみんな元気。魅力的な人がたくさんいて、いろんな街があって、メディアも多くて、ネットも早くて、何気なく生活していても自然と入ってくる情報が多くて、刺激的。洗練されていて、清潔で、でも猥雑で、なんでもあって、おいしくて、快適。
文句や要求ばっかりでうるさい人々や、科学的根拠はないけど一般受けのいい言説におもねるマスコミ、そしてそれらを恐れて身動きが取れない政治、そんなのばかりが目立ってますけど、考えている人、行動する人もちゃんといて、言うほどどうしようもなくはない。インフラや市民社会も健全で力強く、日本の基礎体力はまだそこまで落ち込んでもないよなって思えた。
まあね、私がもっとどうしようもない国ばかりを見て来たということもあるでしょうが、それでも少なくとも日本は相対的にマトモな国である、とは言えるわけでして。
無邪気に現状を肯定しているわけではないのです。
課題、問題があることもこれまた事実なので、当然ながら手を打っていかなくてはいけない。混乱もあると思う。危険な兆候もある。対応に失敗して苦境に陥ることもあると思う。でも、それでも、時間は前にしか進まないんだし、これだけたくさんの人が前を向いて歩いているんだから、きっとそれなりのカタチにはなっていくんじゃないの?
なにポリアンナみたいな能天気なことを言ってるのと怒られそうですけど、年の初めはちょっと楽観的な気分の日本滞在でございました。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
November 26, 2011
現実はひとつじゃない。
ニュースドキュメンタリーを撮影するフリーランスの人を表彰するRory Peck賞というのがありましてですね。
「The Rory Peck Trust」
http://www.rorypecktrust.org/page/1/Home
2011年の受賞者に「Zimbabwe's Forgotten Children」を撮ったJezza Neumannという人が選ばれてます。この「Zimbabwe's …」は去年の8月にBBCで放映されたようですが、(http://www.bbc.co.uk/programmes/b00r5ww9)すでにYouTubeにもいろいろアップロードされているようですし、今度BBC Worldでもダイジェストを再放送するそうです。
で、この「Zimbabwe's …」、私はほんの一部分しか見てないんですが、かなり辛い内容。ジンバブエの田舎で、お父さんは既にHIV/AIDSで亡くなっていて、お母さんもAIDSを発症してもう動けないという9歳の女の子が、妹とお母さんの面倒を看ています、という内容。たぶんその子自身もHIVポジティブ。
その子の住んでいる村の学校など周辺の様子も映るんですけど、それがもう、これが日本人が「アフリカ」と聞いて思い浮かべる景色でしょう、という典型的な貧しさ。一応学校の建物はあるんだけど、荒廃してただレンガを積んだだけって感じになってて、その中に貧しそうな子どもが集まってる。服もろくに着てない、ホコリっぽい子どもたち。そして、その学校にさえ行けない子がたくさんいます、というお話。
AIDSのお母さんの面倒を見ている(シモの世話までしている)その子ですが、Jezza Neumannさんが取材をしている期間中に、お母さんが死んでしまう。するとその子は、「もうこれで面倒を見なくてよくなったのでほっとした。」と言うんですよね。お母さんが死んだのに、9歳の女の子がこういうことを言ってしまう状況って、ほんと辛い。見てて胸が潰れます。
一方で。
このところ縁あってジンバブエの首都ハラレに滞在しているんですが、昨日、近所のショッピングモールに行ったら、カワサキの新車の大型バイクの屋外展示会をやってました。露店でソフトクリームやホットドッグも売ってて、およそアフリカとは思えない雰囲気です。このショッピングモールが特別な場所なのかと言われれば、ハラレ市内にこの手のモールは何か所でもあるし、客は白人の割合が高いとはいえ、黒人も普通にそぞろ歩いてる。そもそも、ジンバブエ国内はハラレに限らず、主要な町や観光地には、すてきなリゾート風のホテルやロッジがいくらでもある。
どちらも現実なのです。忘れ去られた子どもたちが、AIDSの親の面倒を見なきゃいけなかったり、学校にも行かず砂金掘りをしなきゃいけなかったりする現実もある。他方で、朝からお母さんに起こされて朝食を食べたら車で広い芝生の校庭がある学校に送ってもらって、学校帰りにはファーストフードでピザを買って帰る、そんな生活も一般的。
その差に愕然とします。
この20年くらいで日本でも格差が格差がとうるさくなってきましたが、アフリカのこの格差に比べたら、ちょっともう、恥ずかしくて話題に持ち出せないくらいです。
ちなみに、ジンバブエはメディアの取材活動が極めて難しい国のひとつです。そもそも政府はほとんど取材許可を出さないらしく、中央情報局や警察の監視の目も厳しいし、取材活動を犯罪として取り締まることのできる法律もあります。それどころか、なんでもないところでも街中で写真を撮ったりビデオを撮ったりしただけで、すぐにトラブルになります。プライバシー保護法みたいなのもあって、警察や中央情報局とは関係なくても、街でぶらぶらしている若者から難癖つけられたりしますしね。私がハラレに滞在していてもハラレ市内の写真をほとんど持っていないのは、街中でカメラを構えることのリスクが高すぎるからでもあるんです。そんなややこしい国なので、「Zimbabwe's …」の撮影もほとんど隠し撮りらしいです。Jezza Neumannさんはインタビューで、一応なんとか撮影許可は取ったけど12回も職務質問を受けたと言ってました。
しかし、ジンバブエ政府当局(ムガベ大統領与党)が外国メディアの取材を厳しく規制する動機も、その立場になって考えれば理解はできます。カダフィや金日成が盟友だというムガベ大統領の与党は欧米とは敵対していて、欧米のメディアは「ジンバブエはこんなにヒドい。」という映像を撮りたがる。そんな状況で自由に取材させれば、「Zimbabwe's …」みたいな番組ばかりが作られることになる。そしたら、ジンバブエに対する風当たりがますます強くなる。だから「西側メディアは偏向した報道をするので、正しい情報を伝えるため、政府が管理する必要がある。」などと言いだす。無論、むやみやたらな取材規制は是認できないし、テレビやラジオが全部国営っていうのが健全なはずはないのですが。
要は、現実は複数あるのです。
家もなく今日食べるものの算段もないままAIDSの母親の世話を焼く女の子や、学校にも行かず砂金掘りをしなきゃいけない少年がいるのも現実で、カワサキの大型バイクが売れたり、生活習慣病が社会問題になったりしているのも現実。アフリカの小国(ジンバブエは実はそんなに小国ではありませんが)だからといって、一色で塗り込められているわけでないのです。しかし、如何せん日本からは遠くて情報も少ないので、パターン化したイメージに陥りやすい。Jezza Neumannさんの「Zimbabwe's …」のような作品で、見逃されがちなアフリカの問題を世に問うていくことは大切なことですが、それがアフリカのすべてではないことも覚えておきたいと思うのです。
* * *
しかし、このところハラレ市内でやたらに道路脇を掘り返しているのはインターネット用の光ファイバーを埋設しているらしい。聞けば、ハラレだけじゃなくて、国内主要都市から国外まで繋ぐそうな。政府がメディアを規制しても、インターネットがもっと安く、速く、安定して使えるようになったら、事情は変わる気がします。携帯電話も今はテキストメッセージと音声通話がほとんどですが、徐々にデータ通信も普及し始めているみたいだしね。
「The Rory Peck Trust」
http://www.rorypecktrust.org/page/1/Home
2011年の受賞者に「Zimbabwe's Forgotten Children」を撮ったJezza Neumannという人が選ばれてます。この「Zimbabwe's …」は去年の8月にBBCで放映されたようですが、(http://www.bbc.co.uk/programmes/b00r5ww9)すでにYouTubeにもいろいろアップロードされているようですし、今度BBC Worldでもダイジェストを再放送するそうです。
で、この「Zimbabwe's …」、私はほんの一部分しか見てないんですが、かなり辛い内容。ジンバブエの田舎で、お父さんは既にHIV/AIDSで亡くなっていて、お母さんもAIDSを発症してもう動けないという9歳の女の子が、妹とお母さんの面倒を看ています、という内容。たぶんその子自身もHIVポジティブ。
その子の住んでいる村の学校など周辺の様子も映るんですけど、それがもう、これが日本人が「アフリカ」と聞いて思い浮かべる景色でしょう、という典型的な貧しさ。一応学校の建物はあるんだけど、荒廃してただレンガを積んだだけって感じになってて、その中に貧しそうな子どもが集まってる。服もろくに着てない、ホコリっぽい子どもたち。そして、その学校にさえ行けない子がたくさんいます、というお話。
AIDSのお母さんの面倒を見ている(シモの世話までしている)その子ですが、Jezza Neumannさんが取材をしている期間中に、お母さんが死んでしまう。するとその子は、「もうこれで面倒を見なくてよくなったのでほっとした。」と言うんですよね。お母さんが死んだのに、9歳の女の子がこういうことを言ってしまう状況って、ほんと辛い。見てて胸が潰れます。
一方で。
このところ縁あってジンバブエの首都ハラレに滞在しているんですが、昨日、近所のショッピングモールに行ったら、カワサキの新車の大型バイクの屋外展示会をやってました。露店でソフトクリームやホットドッグも売ってて、およそアフリカとは思えない雰囲気です。このショッピングモールが特別な場所なのかと言われれば、ハラレ市内にこの手のモールは何か所でもあるし、客は白人の割合が高いとはいえ、黒人も普通にそぞろ歩いてる。そもそも、ジンバブエ国内はハラレに限らず、主要な町や観光地には、すてきなリゾート風のホテルやロッジがいくらでもある。
どちらも現実なのです。忘れ去られた子どもたちが、AIDSの親の面倒を見なきゃいけなかったり、学校にも行かず砂金掘りをしなきゃいけなかったりする現実もある。他方で、朝からお母さんに起こされて朝食を食べたら車で広い芝生の校庭がある学校に送ってもらって、学校帰りにはファーストフードでピザを買って帰る、そんな生活も一般的。
その差に愕然とします。
この20年くらいで日本でも格差が格差がとうるさくなってきましたが、アフリカのこの格差に比べたら、ちょっともう、恥ずかしくて話題に持ち出せないくらいです。
ちなみに、ジンバブエはメディアの取材活動が極めて難しい国のひとつです。そもそも政府はほとんど取材許可を出さないらしく、中央情報局や警察の監視の目も厳しいし、取材活動を犯罪として取り締まることのできる法律もあります。それどころか、なんでもないところでも街中で写真を撮ったりビデオを撮ったりしただけで、すぐにトラブルになります。プライバシー保護法みたいなのもあって、警察や中央情報局とは関係なくても、街でぶらぶらしている若者から難癖つけられたりしますしね。私がハラレに滞在していてもハラレ市内の写真をほとんど持っていないのは、街中でカメラを構えることのリスクが高すぎるからでもあるんです。そんなややこしい国なので、「Zimbabwe's …」の撮影もほとんど隠し撮りらしいです。Jezza Neumannさんはインタビューで、一応なんとか撮影許可は取ったけど12回も職務質問を受けたと言ってました。
しかし、ジンバブエ政府当局(ムガベ大統領与党)が外国メディアの取材を厳しく規制する動機も、その立場になって考えれば理解はできます。カダフィや金日成が盟友だというムガベ大統領の与党は欧米とは敵対していて、欧米のメディアは「ジンバブエはこんなにヒドい。」という映像を撮りたがる。そんな状況で自由に取材させれば、「Zimbabwe's …」みたいな番組ばかりが作られることになる。そしたら、ジンバブエに対する風当たりがますます強くなる。だから「西側メディアは偏向した報道をするので、正しい情報を伝えるため、政府が管理する必要がある。」などと言いだす。無論、むやみやたらな取材規制は是認できないし、テレビやラジオが全部国営っていうのが健全なはずはないのですが。
要は、現実は複数あるのです。
家もなく今日食べるものの算段もないままAIDSの母親の世話を焼く女の子や、学校にも行かず砂金掘りをしなきゃいけない少年がいるのも現実で、カワサキの大型バイクが売れたり、生活習慣病が社会問題になったりしているのも現実。アフリカの小国(ジンバブエは実はそんなに小国ではありませんが)だからといって、一色で塗り込められているわけでないのです。しかし、如何せん日本からは遠くて情報も少ないので、パターン化したイメージに陥りやすい。Jezza Neumannさんの「Zimbabwe's …」のような作品で、見逃されがちなアフリカの問題を世に問うていくことは大切なことですが、それがアフリカのすべてではないことも覚えておきたいと思うのです。
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しかし、このところハラレ市内でやたらに道路脇を掘り返しているのはインターネット用の光ファイバーを埋設しているらしい。聞けば、ハラレだけじゃなくて、国内主要都市から国外まで繋ぐそうな。政府がメディアを規制しても、インターネットがもっと安く、速く、安定して使えるようになったら、事情は変わる気がします。携帯電話も今はテキストメッセージと音声通話がほとんどですが、徐々にデータ通信も普及し始めているみたいだしね。
November 11, 2011
地に足の着いた記事。
当地のネット環境はすこぶる悪くて、完全にダウンしてしまうこともあれば、つながってもやたらに遅かったり、開けないページが続出したりしてます。それでも、やっぱりネットがつながらないと今どきお話にならないので、オタオタするネット接続に膨大な時間を無駄にしながら、なんとかしのいでいる状況です。
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それで、まあ、いろんな記事や論説やエッセイやスレッドを読むわけですが、あらためて気付くのは、机上で(というか端末の前に座っているだけで)練られた文章は、その底の浅さが分かるよなってことですよね。
たとえ短い文章やコメントでも、書き手の長年の研究や取材に裏打ちされたもの、書き手が本業としていることを書いたもの、あるいは少なくとも書き手の実体験を踏まえて書かれている物は、それが日本語がこなれていない文章であっても、私の意見とは相意入れない主張であっても、魅力的な物が多いです。
大昔、塾講師をやったり、教育実習に行ったりしたときには気付いていたことですが、授業はたった1時間で、そこに盛り込む内容が限られても、人にそれだけのことを説明しようと思ったら、その裏にはかなり膨大な知識や情報、下準備がないと対応できないものですよ。
ほんの一言、ほんの一文でも、ちゃんと知っている人じゃないと発言できないことって多い。
* * *
私もすでにアラフォーで、それなりにいろいろ仕事もしてきて、不十分ながらも一言意見がある分野があったりするのですが、特にそういう分野では、ただネットで情報を見て分かったようなことをもっともらしく語っているだけの人に気付くことも多いです。「だれかの意見の受け売りでしょう?実際にはちゃんと見たこともないし、考えたこともないでしょう?」っていう感じで。
そしてまた、振り返ると自分自身も、別の分野ではそういう素人意見で分かったような顔をしていることがあって、今さらながらにひとり恥ずかしい思いをしたりしてます。
ということで、人様に読まれる記事は、できるだけ自分がちゃんと知っていることを、自分が経験していることを書こうと思った次第であります。
* * *
で、今書いたことって、記事を書くということについての記事、というメタな記事になってしまってるのですが、これは「自分がちゃんと知っていることを、自分が経験していること」に相当するのでしょうかね・・・。
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それで、まあ、いろんな記事や論説やエッセイやスレッドを読むわけですが、あらためて気付くのは、机上で(というか端末の前に座っているだけで)練られた文章は、その底の浅さが分かるよなってことですよね。
たとえ短い文章やコメントでも、書き手の長年の研究や取材に裏打ちされたもの、書き手が本業としていることを書いたもの、あるいは少なくとも書き手の実体験を踏まえて書かれている物は、それが日本語がこなれていない文章であっても、私の意見とは相意入れない主張であっても、魅力的な物が多いです。
大昔、塾講師をやったり、教育実習に行ったりしたときには気付いていたことですが、授業はたった1時間で、そこに盛り込む内容が限られても、人にそれだけのことを説明しようと思ったら、その裏にはかなり膨大な知識や情報、下準備がないと対応できないものですよ。
ほんの一言、ほんの一文でも、ちゃんと知っている人じゃないと発言できないことって多い。
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私もすでにアラフォーで、それなりにいろいろ仕事もしてきて、不十分ながらも一言意見がある分野があったりするのですが、特にそういう分野では、ただネットで情報を見て分かったようなことをもっともらしく語っているだけの人に気付くことも多いです。「だれかの意見の受け売りでしょう?実際にはちゃんと見たこともないし、考えたこともないでしょう?」っていう感じで。
そしてまた、振り返ると自分自身も、別の分野ではそういう素人意見で分かったような顔をしていることがあって、今さらながらにひとり恥ずかしい思いをしたりしてます。
ということで、人様に読まれる記事は、できるだけ自分がちゃんと知っていることを、自分が経験していることを書こうと思った次第であります。
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で、今書いたことって、記事を書くということについての記事、というメタな記事になってしまってるのですが、これは「自分がちゃんと知っていることを、自分が経験していること」に相当するのでしょうかね・・・。
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